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1.核兵器禁止条約第3回締約国会議について
2.被爆80周年記念事業について
(1)被爆体験継承の意義と被爆体験伝承者事業について
(2)被爆樹木の管理について
3.舟入市民病院について
(大西オサム)
日本共産党の大西です。早速質疑に入りたいと思います。先般行われた核兵器禁止条約第3回締約国会議の評価についておたずねをいたします。
この間、ウクライナとガザでの戦乱が続き、軍事対軍事の対立が深まっています。一方で、日本被団協のノーベル平和賞受賞などの嬉しい出来事もございました。
このような中、3月3日から国連本部で開かれていた核兵器禁止条約第3回締約国会議は、5日間の日程を終えて、核抑止力論を批判をして、核兵器の廃絶が世界の安全保障と人類の生存にとって必須であると強調する宣言を採択し、7日に閉幕をしました。
そこで最初におたずねをいたします。核兵器禁止条約第3回締約国会議の結果について、本市としてどのように評価をされているでしょうか。
(平和推進課長)
このたびの会議では、被爆者をはじめ、世界中から幅広い世代の市民や研究者が参加し、真に核兵器廃絶を目指す議論が活発に行われたほか、会議最終日には、広島と長崎の被爆者をはじめ、核兵器の使用と実験が人々に与えた耐え難い苦痛と、甚大な被害を確認し、人類の存亡に関わる核兵器の脅威に対処するとの揺るぎない決意を新たにするとともに、核抑止論に立ち向かう誓いが盛り込まれた政治宣言が採択され、世界中に発信されたことは、核抑止論からの脱却を促す国際世論を醸成していく上で、大きな意義があったものと考えています。
(大西オサム)
平和首長会議も役割を果たされたと聞いています。この核兵器禁止条約第3回締約国会議で、平和首長会議が果たした役割についてご紹介をいただけないでしょうか。
(平和推進課長)
このたびの会議には、平和首長会議副会長であるドイツハノーバー市のオーナイ市長を団長とする平和首長会議代表団を派遣し、国連や各国政府代表者等を前にしたスピーチや、第3回締約国会議議長を初めとする各国等のキーパーソンとの面会を通じて、非人道的な結末をもたらす核兵器に対する強い懸念を伝えるとともに、締約国に対して同条約の実効性を高めるための議論と具体的な核軍縮の進展を求めました。
また、次代を担う若い世代への被爆体験の継承が喫緊の課題である中、「核兵器のない世界を求める市民社会の声」と題するICANとの共同サイドイベントを開催し、被爆者と海外の若者が被爆の実相等について対話や意見交換を行ったところ、立ち見が出るほど多くの方々の参加がありました。
また、国連本部において、平和首長会議原爆平和展や、子どもたちによる“平和なまち”絵画展を開催したほか、今回初めて海外の国際会議で、VRゴーグルの体験ができるブースを設置しました。
こうした取り組みにより、世界で約8500の都市が加盟する国際NGOとしての平和首長会議の存在感や、役割の大きさを世界に示すとともに、多くの平和NGOとの今後の連携を確認できました。
また今回初めて試みたVRゴーグル体験は、延べ300名以上がブースを訪れ、反響が大きかっただけでなく、多くの会議出席者や国連関係者に対し、被爆の実相や核兵器の非人道性を伝えることができたことは、今後の活動にも活用できることが確認できた点で大きな収穫があったと考えています。
(大西オサム)
私自身は報道でしかこの会議の内容について触れることはできませんでしたが、それでも、被爆者のみならず広島の若者が躍動して核兵器廃絶に向けて世界を引っ張ってるなとそういう印象を強く持ちました。毎日この報道に触れるのが本当に楽しみでした。
朝日新聞の記事なんですが、3月6日には、赤十字国際委員会ICRCのユース代表として参加されている広島市出身の早稲田大学4年生の高垣慶太さんという方が発言をされています。
医師だった母方の2人の曾祖父が、それぞれ広島長崎で被爆者の治療にあたったことを話されて、元通りにしてくれという意味の広島の方言「まどうてくれ」と、私は広島にも40年以上住んでるんですが、まどうてくれというのはよく知らなかった、恥ずかしながら知らなかったんですが、ベテランの議員の皆さんよくご存知だということでした。元通りにしてくれという、まどうてくれという言葉を紹介をして、被爆者たちが発した必死の願いが込められている言葉として紹介をされたそうです。
そして、核兵器の使用や実験で被害を受けた人々の援助や、環境の修復を求めて、国際社会は核兵器を廃絶し、現在も苦しむ人々、特に見落とされている人々の補償や汚染された自然環境の改善に協力して取り組むべきだと訴えたということが報じられています。
また3月5日の朝にはニューヨークの平和団体が、反核行進を開催したそうですが、高校生平和大使の3人が参加したことが報じられました。集まった約70人とともに、米国連代表部前で「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー」とそういう声を上げたということが報じられました。
最近は暗いニュースが多いんですが、私はここに世界の希望があるなというふうに感じました。
また、今回の締約国会議では、アメリカの国会議員ノートン下院議員が、アメリカ政府に核兵器禁止条約への署名を求める法案を出したということが話題になったそうです。
法案は、米政府に対して、核兵器禁止条約に署名をすること、核兵器禁止条約のもとで、核廃絶に向けて他の核保有国と協力をすること、核廃絶への流れが軌道に乗ればすぐに条約を批准すること、核開発に使われている資源を気候危機対策や人々が必要としているもののために使うこと、この4点を求めているそうです。
法案の共同提案者は、マクガバン下院議員や民主党の進歩派議員連盟代表のカサール下院議員ら8人の議員がなっているそうです。
ノートン下院議員は、締約国会議関連行事に寄せたビデオメッセージで、米国は戦争で核兵器を使用した唯一の国であり、また世界最大規模の核弾頭を保有する国として、この法案は、米国が世界の中で道徳的な指導力を立て直す助けになるだろうと述べたというふうに聞いております。
被爆者の皆さんの訴え、平和首長会議の取り組み、広島からの若者の訴えや、アメリカ国内のトランプ政権のもとでアメリカの国会議員の奮闘など、そういった頼もしい動きが伝わってきました。
今回の締約国会議について、私は三つの点を再確認された会議になったんじゃないかなというふうに感じました。
一つは、やはり被爆体験の更なる発信の重要性の確認です。被爆者と核実験被害者の証言を聞く機会を頻繁に作ろうという意志が確認されたというふうに聞いています。
二つは、核兵器があるから平和の均衡が保たれるという、いわゆる核抑止論を克服するために国際的に更なる取り組みの強化をしていこうということが確認されたと聞いています。
それから三つ目に、条約が義務付ける被爆者・核実験被害者への支援、環境修復のための具体化が確認されたということは聞いています。
次回の核兵器禁止条約の締約国会議は、いよいよ核兵器禁止条約の運用と進捗状況を協議する初めての会議となるそうで、来年の11月から12月にかけて開かれることも確認されたと聞いています。
日本政府がそういう会議に参加されなかったのは残念でなりません。本市には引き続いて日本政府の締約国会議へのオブザーバー参加、条約批准を求めていただきたいというふうに思います。
一方で、今回の締約国会議にNATO諸国からの参加がなかったこと、この会議が行われている最中、3月5日にマクロン大統領がテレビ演説で、フランスによるいわゆる核の傘をヨーロッパに広げることについて検討を始めるという趣旨の発言をしていることを耳にしまして、大変怒りを覚えました。
ニューヨーク訪問中の日本被団協の和田征子事務局次長は、「多くの国が集まって核兵器廃絶を議論している中で、水を差すびっくりするような発言。広島と長崎が経験したことがまた繰り返されるのではないかと思うだけで涙が出る」というふうに発言をされています。
マクロン大統領は一昨年、G7広島サミットに参加をし、平和記念資料館を訪れた際、「心を揺さぶられた。世界平和を巡る現代の歴史に浸り、広島と長崎の全ての犠牲者への敬意を通じて、私たちの使命を思い起こした」と話していたことが当時報じられていたんですが、こういった発言を3月5日の日にされたということです。
それでそこでおたずねをします。広島で行われたG7参加国代表による、このような発言に対する本市の見解があれば教えてください。
(平和推進課長)
委員ご指摘の発言は、自国の安全保障のためには、核戦力による威嚇により戦争を仕掛ける動機づけをさせないことが現実的なあり方だという考え方に基づくものと考えておりますが、G7広島サミットの際に、被爆地の願いであるヒロシマの心を受け止めていただいたマクロン大統領には、核兵器に依存するのではなく、国際社会との対話と協調による外交努力により、真に平和な世界の実現を目指していただきたいと考えています。
(大西オサム)
やはり核兵器廃絶こそ最大の安全保障だという立場に立つように働きかけていただければというふうに思います。
さらにおたずねをするんですが、本市ではどのようにして、この核抑止論を乗り越えようとお考えでしょうか、今一度ご見解をお願いします。
(平和推進課長)
核兵器のない世界を実現するためには、世界中の為政者が被爆の実相と核兵器の非人道性を十分認識し、核抑止政策に頼らないという大きな決意をする必要があります。
そうした為政者の決意を後押しするためには、為政者を選び支持する側の市民社会において平和意識を醸成し、核兵器のない真に平和な世界の創造に向けた思いを、国際社会の総意にまで高める必要があり、本市は、世界の約8500の平和首長会議の加盟都市を初め、多様な主体との連携を強化しながら、平和文化に満ちた世界を作ることで、核抑止力に依存する為政者に対話による平和的解決に向けた外交政策への転換を促していきたいと考えています。
(大西オサム)
続けて、被爆80年の取り組みについて伺います。まず初めに被爆80年の80という節目について、本市ではどのようにその意味を受けとめて位置づけてらっしゃるのか、お聞かせください。
(政策企画課長)
戦争経験者や被爆者の高齢化が一層進み、核兵器使用のリスクが懸念されるなど、緊迫した世界情勢が続く状況の中で迎える被爆80周年は、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けた決意を新たにし、そのための取り組みを一層推進していく節目の年です。 また、市民社会において、核兵器のない世界を目指すという総意を形成し、世界規模で核抑止論からの政策転換を推し進めるような大きな潮流を作り出していく上では、平和首長会議に加盟する国内外の都市とともに、平和文化の振興を図る契機とすべき年であると考えています。
こうしたことから、被爆80周年は、これまでも行ってきた原爆死没者の慰霊と被爆者の援護に、平和文化の振興を柱の一つに加えた上で、様々な記念事業を実施することにしており、その取り組みに当たっては、被爆者等の高齢化の進展も踏まえ、次世代の平和文化の担い手を育成する観点に立って、若い世代の主体的な取り組みや積極的な参画を促し、ヒロシマの心を次世代につないでいくとともに、国内外の都市との連携の輪を広げていくことが重要になっていることにも留意しながら進めていくことにしています。
あわせて、被爆80周年を契機として、芸術文化活動やスポーツ活動を始めとした平和文化の振興に資する取り組みを行政だけでなく、市民や企業等も含めた全市民的なものとして展開していくため、これまでにも増して、民間主体の取り組みへの支援を行っていくことにしています。
(大西オサム)
この80年という節目について私自身は、この80年目の節目となる今年、被爆体験の継承っていう広島市の事業が、人類にとって極めて意味を持つ事業だということ、それから広島市に成り代わってやれるところはどこにもない事業だということで、本当に何と言いますか、焦りもありますし、一方で夢のある事業だというふうに感じています。
この十数年来、核軍縮交渉が大きく変化してきました。これまではもっぱら安全保障の観点から釣り合いが取れているかどうかという視点で行われてきた核軍縮交渉が、核兵器の非人道性に光を当てた議論に、この十数年来変化をしてきていることが、国際会議のあちこちで語られています。
これは人道的アプローチへの変化、人道的イニシアチブへの変化だというふうに言われています。その画期となったのが2010年のNPT再検討会議でした。
被団協を代表して、長崎の被爆者谷口稜曄さんが、被爆直後に赤く焼けただれたご自身の背中の写真を高く掲げて、「私を最後の被爆者に」そう訴えたことが会場を埋めた各国代表に大きな感銘を与えました。
NPT会議、核拡散防止条約再検討会議ですから、核大国が参加している会議です。その会議の最終文書で、核使用が人道上壊滅的な結果をもたらすと強く警告をして、初めて被爆者の声が最終文書に盛り込まれて、核兵器の非人道性に言及したそういう歴史的な会議となりました。
この合意を踏まえて、2013年から14年、ノルウェー、メキシコ、オーストリアで3回にわたって核兵器の人道的結末に関する国際会議が開催をされ、核兵器の非人道性が国際社会の共通の認識になっていきました。
さらに2015年の国連総会では、この人道的アプローチの流れに沿った四つの決議が採択されるとともに、核兵器のない世界の実現のための効果的な法的措置を探求するオープン・エンドの作業部会を設置することが決まり、そういった様々な流れが、2017年の核兵器禁止条約の成立につながることになりました。
被爆体験の継承、人道的アプローチは、核抑止論に対する根本的な批判だと思います。NPTなど核軍縮の場では、毎回そういう人道的な問題が最終文書に盛り込まれるかどうか、これが大きな焦点になっています。
私は先ほど述べたように、人道的イニシアチブ、アプローチが、原爆被害の発信が、これからの人類の未来を決める鍵となるし、世界から広島に求められている点は、まさにそこにあるというふうに感じています。
日本政府には、核兵器廃絶こそ安全保障政策の中心に据えていただいて、橋渡し役より、核兵器廃絶運動の先頭に立っていただきたいというふうに思います。
日本被団協の田中煕巳理事長は、昨年12月のオスロでのノーベル賞授賞式でのスピーチで、1956年8月に日本被団協を結成して以降、二つの基本要求を掲げて運動してきたことを述べられました。
二つの基本要求、一つは、日本政府の戦争の被害は国民が受忍しなければならないとの主張に抗い、原爆被害は戦争開始し遂行した国によって償わなければならないという運動。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺戮兵器であり、人類とは共存させてはならない。速やかに廃絶しなければならないという運動です、と受賞スピーチで述べられました。
日本政府が自らの責任に向き合わない姿勢は、米国に原爆投下責任を問わないことと、これは表裏一体です。
ここには米国市民との交流も大いにすべきだと思いますが、国家としての責任は、日本もアメリカも米国も決して曖昧にしてはならないというふうに思います。
それだけに、被爆都市である広島市の役割はかつてなく大きい。今が大きいというふうに思います。
被爆80年の今年、今こそ被爆体験の継承の取り組みを大きく広げていく使命、役割が広島市にあると思います。
そういう立場で被爆80年の各事業に取り組んでいただきたいというふうに思います。
(大西オサム)
そこで、被爆体験伝承者養成事業について伺います。被爆体験家族伝承者の応募が開始されたのが令和4年だというふうに聞いています。
自らの被爆体験を語る被爆体験証言者と被爆体験伝承者、家族伝承者について、令和4年度以降の応募人数を教えてください。
(被爆体験継承担当課長)
被爆体験伝承者等の令和4年度以降の応募人数およびその内訳は、令和4年度が被爆体験証言者2名、被爆体験伝承者48名、家族伝承者54名、令和5年度が被爆体験証言者1名、被爆体験伝承者62名、家族伝承者21名、令和6年度が被爆体験証言者7名、被爆体験伝承者67名、家族伝承者32名となっております。
なお、被爆体験証言者および家族伝承者につきましては、被爆者の更なる高齢化が進む中、できるだけ多くの被爆者の被爆体験を掘り起こし、それらを適正に後世に伝えるため、それまで毎年度の5月に募集していましたが、昨年9月から年間を通して募集するよう変更しました。その結果、9月以降に被爆体験証言者が2名、家族伝承者が9名応募されています。
(大西オサム)
家族伝承者だけで言えば応募者が54人21人32人というふうに推移してるんだというふうに聞きました。テレビなどの報道で市民の関心がぐっと高まったときには応募者が増えてるんだなというふうに今のお話を聞いて感じました。
では、養成研修を修了して、現在活動されている被爆体験証言者、伝承者、家族伝承者それぞれの人数と、平均年齢それぞれ教えてください。
(被爆体験継承担当課長)
今月1日現在、被爆体験伝承者等の人数と平均年齢につきましては、被爆体験証言者は29名87.5歳、被爆体験伝承者は244名64.8歳、家族伝承者は40名61.2歳となっております。
(大西オサム)
被爆体験伝承者養成事業205万円が計上されていますが、これはどのような内容でしょうか。また令和4年度以降の予算額の推移も教えてください。
(被爆体験継承担当課長)
令和7年度計上額の205万円の主な内訳といたしましては、要請にご協力いただく被爆体験証言者への謝礼金が160万3000円、研修生への資料送付等にかかる切手代が20万5000円、研修生へ配布する平和記念資料館図録や事務用品に係る経費が19万1000円となっています。
また、令和4年度以降の予算額の推移につきましては、令和4年度は197万5000円、令和5年度は207万円、令和6年度は208万1000円、令和7年度は205万円となっております。
(大西オサム)
被爆体験伝承者等による伝承講話活動に836万9000円が計上されていますが、これはどのような内容でしょうか。令和4年度以降の予算額の推移を教えてください。
(被爆体験継承担当課長)
本事業は広島平和文化センターに委託して実施しております。令和7年度計上額の836万9000円の主な内訳といたしましては、定時講話等の開催に伴う被爆体験伝承者等への謝礼金が462万3000円、事務補助職員への賃金・福利厚生費が269万4000円、被爆体験伝承者等の活動に係る保険料が29万6000円となっています。
また、令和4年度以降の予算額の推移につきましては、令和4年度は554万3000円、令和5年度は631万6000円で、令和6年度は624万6000円、令和7年度は836万9000円となっております。
(大西オサム)
謝礼の部分が大きく占めるのだなというふうに感じました。
伝承者の講話についてお伺いをします。講話は主に資料館東館地下1階での定時講話か団体等の依頼で指定された場所に出向いて行う講話があると思うんですが、令和4年度と令和5年度のそれぞれの回数について教えてください。
(被爆体験継承担当課長)
本市が実施しています被爆体験伝承者等による伝承講話は、平和記念資料館内で実施している定時講話の他、市内の学校等へ派遣する派遣講話や国内外の聴講者にオンラインで実施する講話の3種類があります。
それぞれの講話の回数は、令和4年度につきましては、定時講話が751回、派遣講話が312回、オンライン講話が4回の合計1067回となっています。
また、令和5年度につきましては、定時講話が1379回、派遣講話が415回、オンライン講話が4回の合計1798回となっております。
(大西オサム)
わかりました。実は、被爆体験伝承者・家族伝承者の方から被爆体験伝承活動にもっともっと光を当ててほしいとそういう声をいただいています。
資料館東館1階での伝承講話は無料で事前予約もなく聞くことができます。1日4回、そのうちの1回は英語で行われています。
私自身も家族伝承者の方のお話を聞きに行ったんですが、お話の中身がですね、非常にリアルで正確で、あの心の琴線に触れるといいますか、質疑応答も入れて1時間程度なんですが、とても準備をされていて、大変驚きました。
ただ、伝承者の方もおっしゃっていたんですが、毎回の人数が少ないことが非常に残念だというふうにお話をされていました。 そこでおたずねをするんですが、昨年度定時講話1回当たりの平均参加者数、これは何人だったでしょうか。
(被爆体験継承担当課長)
令和5年度の定時講話は1回当たりの平均聴講者数は、日本語の場合が9.1人、英語の場合が15.2人、全体で10.6人です。
なお本市としましても、聴講者数を増やすため、被爆体験伝承者の意見を踏まえ、昨年8月から各定時講話の15分前および10分前の2回、日本語または英語で講話の実施をお知らせする館内放送を実施しており、これにより令和7年2月末現在で、前年同時期と比較すると、全体で平均20%聴講者数が増加し、うち日本語につきましては平均38%聴講者数が増加しました。
引き続き、被爆体験伝承者の意見を丁寧にうかがいながら、より多くの方々に講話を聴講していただけるよう、平和文化センターとも協議しながら様々な対策を講じてまいりたいと考えております。
(大西オサム)
1回の平均が10.6人で、アナウンスをすれば2割増えたということですから、やっぱり知らせれば参加して聞いてみたいっていう人が非常に多いんじゃないかなというふうに思いました。
アナウンスだけではなくって、入口に自由に取れるフライヤーが置いてあるんですが、それも資料館を訪れる人に配ったらどうかなというふうに思いました。
ある家族伝承者の方は、団体などの依頼で指定された場所に出向いて行う講話については、参加者がとてもよく聞いてくれて、双方向のやり取りもあって、非常に充実感があるんだけれども、地下1階の定時講話は、やはり途中で入退場する人もいるし、やりにくいときもあるというお話をされていました。
さっきは先ほど1回あたりの参加者数は10.6人ということでしたが、平日と土日では、これはかなり数も変わってきて、そういうこともあるのかもしれませんが、ある伝承者の方はそのようにおっしゃっています。
また別の伝承者の方は、参加者が少ない原因をその人なりに分析をされていまして、一つはやっぱり資料館の来館者へのお知らせ、アナウンスが不足していること、もう一つは定時講話の部屋が資料館来館者の動線から外れているからだというふうにおっしゃって、今度の平和記念資料館の子ども向け展示整備は、これは大事なことなんだけれども、そのことで定時講話の部屋が、地下1階のさらに奥の狭い部屋に変わるのではないかというふうに心配をされています。
そこでうかがいますが、子ども向け展示整備を進めるにあたって、定時講話の場所をどこに移すとをお考えでしょうか。
(被爆体験継承担当課長)
現在定時講話は資料館東館地下1階の特別展示で実施していますが、代替会場につきまして資料館内に適切に確保するよう平和文化センターと協議を進めてまいりたいと考えております。
(大西オサム)
よく協議をしていただければと思います。定時講話の部屋は被爆体験の継承伝承にふさわしく、来館者にわかりやすい場所にする必要があるというふうに私は思います。
私自身が資料館の導線を歩いてみて思ったのは、あの資料館の見学をし終えて出たところ、今のG7広島サミット記念館のところを使ってもらって、入れ替えるなどした方が全体のストーリーの流れ的にもいいような気がします。
ただあそこはもう被爆アオギリとの関係もありますし、いずれにしても、伝承活動されてらっしゃる方々の意見をよく聞いて、伝承にふさわしく、来館者にわかりやすい、そういう場所を選択していただければというふうに思います。
私がお話をうかがった家族伝承者の方はこのようにおっしゃっています。
伝承者・家族伝承者は、2年間の研修を経て育成される。実際に被爆された方に直接話を聞いて、被爆当時逃げた足跡、これを一緒に歩き訪ねて、何度も何度も聞き取りをして、その被爆者の人生そのものを理解をして講話を作る。原稿の作成だけで少なくとも半年から1年かかり、さらにそれを市の担当者に吟味してもらって完成をさせる。自分が現役時代にはとてもできない活動だと感じていたので、定年退職と同時に伝承者になるための活動を始めた。伝承活動に参加されてる皆さんはそういう覚悟を持って皆参加されていますというふうに話されて、続けてその方は、もう既に被爆体験を聞くことができる最後の段階が過ぎていると自分は思っている。当時の様子を話せる人は、少なくとも被爆当時10歳以上でないと、社会状況も含め正確な全体的な状況を話せないと思うからだと。一桁年齢で被爆した被爆者は、原爆投下時の様子や雰囲気を覚えているかもしれないが、これは致し方ないことなんだけれども、どうしても、その後の伝聞なども記憶の中に入り込むなど、客観的に正確に再現することは難しくなるのでなっているのではないかというふうにおっしゃって、被爆体験の継承という点では広島市の認識が遅れていると、だいぶお叱りを受けました。
それで、もっと人が行う被爆体験伝承活動に光を当てるべきだということをおっしゃっていました。
そこでおたずねをするんですが、いつかは自らの被爆体験を語る方がいなくなる。そうなりますと、現在のような形での伝承者の育成、つまり被爆者から直接話を聞く形での育成ができなくなるときが来ると思うんですが、その後はどうされるおつもりなのか。また、今後の伝承者・家族伝承者について、養成人数とか講話の回数の目標などおありでしたら教えてください。
(被爆体験継承担当課長)
被爆者の高齢化が進む中、被爆者の言葉や平和への思いをしっかりと次世代に引き継いでいくことが人類史上最初の被爆の惨禍を経験した本市の責務であり、また、喫緊の課題と考え、平成24年度に被爆体験伝承者と被爆体験証言者の養成事業を開始し、また令和4年度からは家族伝承者の養成を開始しました。
現時点で活動している方に研修中の方を含めますと、被爆体験証言者は50人、被爆体験伝承者は483人、家族伝承者は108人となります。
事業開始後13年が経過し、被爆者の更なる高齢化が進む中、被爆者がいなくなる時代を見据え、現在実施している被爆体験講話等の取り組みに加え、新たな被爆体験継承の手法として、AI・VRなどのデジタル技術を活用し、被爆者の言葉や平和への思いを的確に後世に伝えていく取り組みに今年度から着手しています。
被爆体験伝承者等の養成人数や講話回数の目標設定はしておりませんが、被爆の実相を確実に後世に伝えるためにも、できるだけ多くの方に伝承者等になっていただくとともに、またより多くの方々に聴講していただけるよう周知を図ってまいりたいと考えております。
(大西オサム)
私はやはり、人が伝承していく市民の取り組みとしての伝承活動、伝承運動を作っていくことが大事だと思うんです。
広島市が被爆80年の取り組みとしてこれからの数年で力を集中して、被爆体験の掘り起こしと、伝承する人を広げる取り組みが必要だというふうに思います。
被爆者ご本人の手記や映像はもちろんですし、伝承者の皆さんが被爆者の方から直接話を聞き取って文字にされていることも提供してもらう。基町高校の創造表現コースの生徒さんのような、直接被爆者の方から聞いた話を絵画として残す、そして何よりそういった志を持った人をうんと広げることが今大事なんじゃないかなというふうに思います。
私自身の実感で言いますと、高齢の方とお話をしていますと、やっぱり昔は被爆体験の話はしたことがなかった。家族にも一切話したこともなかったけれども、と言いながら、ずっと語られない方もいらっしゃるんですが、高齢になってから語り始めるという方も少なくないと思うんです。
そういう皆さんの耳にも届くような取り組みをしていただきたいというふうに思いますが、どうでしょうか。本市の見解をお聞きいたします。
(被爆体験継承担当課長)
本市では、これまで行ってきた昭和50年度から開始した「市民が描いた原爆の絵」の収集や、昭和58年度から開始した被爆体験証言講話、その後も被爆者証言ビデオの制作、高校生と被爆体験証言者との共同制作による原爆の絵の取り組み、被爆体験伝承者の養成事業などを通じて、被爆体験の掘り起こしを行ってきたところです。
さらに、先ほど答弁した通り、昨年9月からは、被爆体験の更なる掘り起こしのために、被爆体験証言者および家族伝承者の通年の募集を開始しています。
本市では引き続き、様々な取り組みを通じまして、貴重な被爆体験を積極的に収集するとともに、これまで収集した膨大な被爆体験を活用する取り組みを進めてまいりたいと考えております。
(大西オサム)
ぜひ従来の枠を超えるような取り組みをお願いをしたいと思います。
あと、被爆80周年事業のうちのいくつかの事業について、市民から、必要な事業だとは思うけれども、なぜこの事業が被爆80周年記念事業に分類されているのかという質問が寄せられています。
この予算特別委員会でも何人かの議員の皆さんの質問と重複もあるんですが、事業ごとにお聞きしますので答弁をお願いしたいと思います。
一つは「毛利輝元没後400年記念事業」の実施事業について、1230万円が計上されていますが、この事業がどんなものなのか、なぜこれが被爆80周年記念事業に分類されているのか教えてください。
(広島城活性化担当課長)
「毛利輝元没後400年記念事業」は、平和的統治の象徴として、広島城天守を築き、現在のまちの姿にも受け継がれる城下町広島の基礎を作った大名毛利輝元の没後400年目の節目にあたる、毛利輝元をテーマとしたトークイベントを実施するものです。
本事業は、被爆以前の広島の歴史や文化、被爆からの復興の歴史の発信を通じて平和への思いの共有を図るものであることから、被爆80周年記念事業に位置づけたものです。
(大西オサム)
「第64回1000万人ラジオ体操・みんなの体育祭」の開催事業に240万円が計上されていますが、この事業はどのようなものなのか、なぜ被爆80周年記念に分類されているのかお聞かせください。
(スポーツ振興課長)
「1000万人ラジオ体操・みんなの体操祭」は毎年1回全国で1ヶ所のみ開催される、株式会社かんぽ生命、NHK等が主催するイベントです。
当日は被爆ピアノによる伴奏を行うこととしており、またラジオ放送だけでなく全世界に向けてテレビ放送が行われるなど、平和への思いを国内外に発信する絶好の機会になることから、被爆80周年記念事業に位置付けたものです。
(大西オサム)
「アーバンフューチャーズ広島の開催支援」に3000万円が計上されていますが、この事業はどのようなものなのか、なぜ被爆80周年記念事業に分類されているのかお答えください。
(スポーツ振興課長)
アーバンフューチャーズ広島は、日本アーバンスポーツ支援協議会等の主催により、BMXフリースタイルのジャパンカップ、パルクールの日本選手権予選など、アーバンスポーツの主要種目の競技大会等を開催するもので、国内トップレベルの選手が参加するものです。
この事業では、国内トップレベルの選手に平和記念公園を訪れ、慰霊碑への参拝、献花などを行っていただくこととしており、参加者が平和であることに思いをはせ、平和の尊さを発信していただくことが期待できることから、被爆80周年記念事業に位置づけたものです。
(大西オサム)
アートラッピングを施したスマートゴミ箱の設置と、東京ガールズコレクションを活用した広島の魅力発信事業を聞こうと思ってたんですが、これまでの答弁と重なりますので、今日は割愛することにします。
それで今日いただいた答弁をそのまま質問を寄せてくださった市民に伝えますので、また何かありましたら対応お願いしたいと思います。
(大西オサム)
次に被爆樹木についておうかがいをいたします。これも昨日の豊島議員の質問と重なる部分もあるんですがご容赦いただきたいと思います。最初に、被爆樹木の定義と被爆樹木が果たしている役割、現在の被爆樹木数を教えてください。
(被爆体験継承担当課長)
被爆樹木の定義につきましては、爆心地からおおむね2km以内に現存するものの中から、本市が被爆の事実を確認したもので、それらを本市の被爆樹木として登録しており、現在159本あります。
被爆樹木の役割といたしましては、被爆という歴史的な事実や、原爆被害の悲惨さを今に伝える物言わぬ証人であるとともに、失われてしまうと2度と取り戻すことのできない貴重な財産であり、被爆の実相を後世に伝えていく上で欠かすことのできないものであると考えております。
(大西オサム)
被爆樹木の登録にはどのような手続きが必要かということを聞こうと思ったんですが、これも昨日ありましたので割愛します。 被爆樹木を誤って切ってしまうなど、枯らせたり枯死させてしまう、最近では東区の京橋川沿いのシダレヤナギ、平和公園内のアオギリなどそういったニュースを聞くんですが、本市としてそういったことを繰り返さないためには何が必要とお考えでしょうか。
(被爆体験継承担当課長)
被爆樹木を適正に保存継承していくためには、所有者の協力が不可欠と考えております。
このため、本市では、全ての被爆樹木を対象に定期的な樹勢等の診断を行うモニタリング事業を実施し、樹木ごとの診断カルテを作成し、被爆樹木の所有者に情報提供することにより、樹勢回復等に役立てていただくとともに、被爆樹木の保存を呼びかけているところです。
また、令和5年3月に所有者に被爆樹木として認識されず伐採されるという残念な事象が発生した翌月の4月と、当該被爆樹木の枯死が判明した令和6年3月には、全ての被爆樹木の所有者に対しまして、この度の事象の周知を図り、改めて被爆樹木の適正な保存継承について要請したところでございます。
(大西オサム)
被爆アオギリのように、枯死には至ってないけれども、治療といいますか、特別な対応が必要となっている被爆樹木があれば、その名前と対応内容について教えてください。
(被爆体験継承担当課長)
本市では、全ての被爆樹木を対象に定期的な樹勢等の診断を行うモニタリング事業を実施しており、この調査において、それぞれの被爆樹木の樹勢状況を良、やや不良、不良、著しく不良、枯死寸前の五つに分類しており、昨年度実施した調査では、良が18本、やや不良が78本、不良が53本、著しく不良が10本、枯死寸前が0本と分類されました。
著しく不良と分類された10本の具体的な内容といたしましては、西区観音町のナツメが、根元の雑草等による環境悪化が見られることや、南区比治山町のソメイヨシノが、根の衰退により傾いていることで、これらにつきましては現在樹勢回復措置を講じているところです。
なお、中区中島町のアオギリにつきましては、今年度、モニタリング調査を実施することとしており、その結果を踏まえて関係課と協議しながら、必要に応じて対応を検討してまいりたいと考えております。
(大西オサム)
被爆樹木を保存継承するために、市としては今後どのような取り組みをお考えでしょうか、教えてください。
(被爆体験継承担当課長)
本市では現在、民間所有のものも含めた全ての被爆樹木を対象に、定期的な樹勢等の診断を行うモニタリング事業を実施し、その結果を踏まえ、本市所有の被爆樹木につきましては土壌改良や新居の保護柵の設置などの樹勢回復措置を講じ、民間所有のものにつきましては、所有者に対しても同様の措置を取るよう促すとともに、樹勢回復措置に係る経費について、1本当たり60万円を上限に全額補助しています。
本市としましては、こうした取り組みを通じまして、失われれば2度と取り戻すことのできない貴重な財産である被爆樹木の保存継承に努めてまいりたいと考えております。
(大西オサム)
被爆樹木はどれも被爆してから80年が経過しようとしています。被爆樹木は、爆心地側の表面の細胞が、昨日も豊島議員の質問でもあったんですが、傷ついているので、どれも爆心地側に向かって傾いているというのも聞いたことがあります。
そういう意味では局をまたぐ事になるかもしれませんが、専門的に診れる方、これも継承だと思うんですが、そういう要請を意識的に作っていただければというふうに思います。
被爆樹木の苗木や種子の普及も広がっていると聞いています。昨年12月のオスロでのノーベル平和賞授賞式に参加した広島県被団協の佐久間理事長は、非核の政府を求める広島の会の会報に寄せた手記の中で、7年前、ICANのノーベル賞受賞の際、松井市長がオスロで植えたナツメ、エノキ、クロガネモチ、イチョウの種がそれぞれ成長して、特にイチョウは1mの高さまで成長していたことを紹介をされ、同地の集会で、同じ生き物としてこれからも元気に育ってほしい、戦争のない核兵器のない社会を目指していこうと呼びかけたエピソードを紹介されています。
そこでおたずねをします。被爆樹木の苗木や種子を広げる取り組みについて、本市での取り組みの概要、広がった国内外の市町村数を教えてください。
(平和推進課長)
本市が会長を務める平和首長会議では、国内外の加盟自治体に被爆樹木の種や二世の苗木を配布し、市民に育成してもらうことにより、平和意識の醸成を図る取り組みを実施しており、令和6年4月現在で22カ国、249自治体、4団体に配布しています。
(大西オサム)
実は私数年前まで、戸坂千足の「アプリコットガーデン」という賃貸マンションに住んでたんですが、アプリコットというのは杏ですね。マンションの敷地の一角に、かなり樹齢のたっていそうな杏の木が植えられておりまして、丁寧に丁寧に手入れもされていて、ちょうど今の時期は3月中旬に桜より一足早く花がつくんですが、立ち止まって見とれてましたら、大家さんが話しかけてこられて、その大家さんの夫のお父さんが千田町で被爆して吹き飛ばされて、気がついたときに目の前に杏の小さな苗が横たわっていた。気力を振り絞って、実家のある戸坂千足まで持ち帰って庭に植えた。それが年々育って、それがとても励まされた。それがマンション名の由来なんですというお話でした。
この杏の木は、被爆樹木としての要件は満たさないかもしれないし、申請もしないというふうにおっしゃってたんですが、そのように人知れない被爆樹木もおそらくたくさんあるんだなというふうに思いました。
そういった由来のある樹木と、ご自身の人生とを重ねて核兵器も戦争もない平和な世界を願ってらっしゃる市民がたくさんいらっしゃるんだというふうに思います。
そういう意味でも、被爆樹木の管理、樹木医の養成も含めた体制面での強化、被爆樹木の種と苗の普及いうことで、強化をお願いをしたいというふうに思います。
(花と緑の施策担当課長)
すいません、先ほど被爆樹木の管理について、少し追加でご説明させていただきます。
平和首長会議を通じて配られたもの以外にですね、平和学習で平和記念公園を訪れた学校等に対し、広島の平和の心をいつまでも忘れずに伝え、平和を愛する人の輪を広げていくことを目的に、被爆アオギリ二世の苗木と種子の配布を行っており、令和6年4月現在で、国内全ての都道府県と海外25の国と地域に配布してございます。
(大西オサム)
最後に舟入市民病院の小児救急医療についてうかがいます。舟入市民病院の小児救急機能が、広島県が駅北につくる新病院に統合されるということについておたずねをします。
いつ移転を計画をされて、新病院での稼働はいつ見込まれるでしょうか。
(医療政策課長)
令和5年9月に県が公表した高度医療人材育成拠点基本計画において、舟入市民病院の小児救急機能については、県の新病院に集約の上、同病院に小児の一次から三次救急まで対応する中国地方初のER機能を併設した小児救命救急センターを整備し、令和12年度、2030年度に開院する予定となっております。
(大西オサム)
駅北の新病院について、資金繰りの悪化や建築コストの上昇などを踏まえて、今おっしゃった令和12年度とされている開業時期が見直されるのではないかということも報じられています。
そうなりますと、舟入市民病院の小児救急医療体制の移転時期も変わることになるんですが、市として把握されているスケジュールがあれば教えてください。
(医療政策課長)
現時点で県からスケジュールの見直しについては聞いておりません。
(大西オサム)
私自身は新しい医療機関が増えることは、これはいいことだというふうに思うんですが、今ある医療機関は残すべきだ。舟入病院の小児救急機能は残すべきだという考えです。
しかし、それ以前の問題として、市民の中でこの問題がなかなか知られていないということを直視しないといけないと思うんです。
舟入病院の周辺にお住まいの方も、この問題を知らないっていう方が非常に多いと思います。市のホームページでもこの問題について触れていません。
例えば中国新聞の報道記事などでも、県病院の移転の問題について、こういう形で書いてあるんですが、県は新病院を経営する地方独立行政法人を4月に先行して設立し、県立広島病院や安芸津病院などの運営を移すというそういう形で新病院を紹介していて、舟入病院のことについては触れていません。
これでは市民が知らないのは当然ですし、これで地域の皆さんが知っているということにはならないと思います。
この点で、住民への周知について市ではどのようにお考えでしょうか。
(医療政策課長)
舟入市民病院の移転を含む新病院の計画の広報については、事業主体である県がホームページへの掲載や県民セミナーの開催YouTubeでの配信などにより行っております。
本市においても、本市ホームページに県の情報発信ページへのリンクを掲載し、随時更新しながら広報を行っているところです。
本市としては、全ての小児患者への高度かつ迅速な対応が可能になるなど、地域の小児医療機能の向上が図られることから、新病院への移管に協力することとしており、市民への周知に当たっては、小児医療機能が舟入から新病院に移管されるということとともに、新病院において、具体的にどのような機能になっていくかということもあわせてお知らせしていくことが重要だというふうに考えております。
現在、県において新病院における具体的な施設整備や診療体制等について検討が進められていることから、今後もその状況に応じて県と連携しながら、市民へ広報してまいりたいというふうに考えております。
(大西オサム)
県の事業だと、それからホームページに掲載されているからということなんですが、私はやっぱり市民への周知という点では、広島市が責任を持つ医療機関、広島市の医療体制の問題ですから広島市も行うことが必要だと思うんです。
例えば記者会見を開いて本市の考えを述べるだとか、住民の皆さんに広島市としての説明会を行って、広島市としての医療提供体制をどう考えるのか、そういう説明をすべきだというふうに思うんです。
私自身が直接聞いた市民の声としては、例えば交通渋滞でなかなか通えなくなるのではないかという不安だとか、子どもの1次救急がなくなるのではないか、あそこが高度医療を売りにして、ドクターを若い先生方を呼ぶとそういう病院の性格と、1次救急とか軽症の子どもたちを受け入れるということとは相反するから、そういう疑問の声が不安の声があるんだと思うんですが、そういう不安の声だとか、あるいは高齢の方からは、舟入病院から小児科がなくなると、いずれは舟入病院全体がなくなるのではないか、そういう不安の声も聞いています。
一昨年6月の定例会で中原議員の一般質問で紹介をされていましたが、舟入病院の小児救急機能は、市民の声を市が受け止めて作られた体制です。
また長年にわたり、広島の子ども医療の砦として、世代にわたって信頼を得てきた病院だけに、市民に対する周知も理解のないままことがどんどん進んでしまう、これは市の姿勢としては不誠実だと思います。
ぜひそういった点も踏まえて、この問題を知らない市民はいないようにすべきだというふうに思うんですが、再度この点での本市の見解をうかがいますが、どうでしょうか。
(医療政策課長)
今後の市民への周知については、先ほどご答弁でも申し上げました通り、小児医療機能が舟入から新病院に移管されるということとともに、新病院において具体的にどのような機能になっていくかということをあわせてお知らせしていくことが重要だというふうに考えております。
県では一次救急から三次救急まで全ての小児患者に対して、高度かつ迅速な対応が可能になるという中国地方初のER機能を併設した小児救命救急センターの整備、これを計画しており、現在具体的な施設整備、診療体制等について検討を進めていることから、本市としては、今後もその状況に応じて県と連携しながら市民へ広報してまいりたいと思います。
(大西オサム)
私も含めて舟入病院には本当にお世話になったし、多くの市民の皆さんの関心事だと思います。ぜひ周知の点をよろしくお願いをしたいというふうに思います。以上で質問を終わります。
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