議会での質問・答弁

2024年06月28日

2024年第2回 6月定例会 請願に対する討論 中森辰一

賛成
請願20号G7広島サミット記念コーナー(仮称)を設置しないことについて
意見を付して賛成
請願23号被爆80周年に向かって53年間ヒロシマ・ナガサキ11万軒世帯の合体標語を実現するための意見書の提出を求めることについて

(中森辰一)
 採決に付されることになりました、2件の請願について、討論を行います。
 まず、請願第20号、G7広島サミット記念コーナー(仮称)を設置しないことについては、採択に賛成です。
 この請願で要請されている、仮称、G7サミット記念コーナーを設置しないことについては、すでに、「G7サミット記念館」として開館していますが、施設が完成しオープンしたものの、依然として、請願で指摘されている問題は重要な問題としてありますので、この記念館は平和記念公園から撤去するべきです。
先日、イタリアで今年のG7サミットが開催されましたので、1年経ったわけですが、この1年の間に、核兵器をめぐる情勢も、戦争と平和に関わる情勢も大きく動いています。
 被爆地ヒロシマでG7の首脳会議を開いた最大の意義は、広島に来てもらって、被爆の実相にしっかり触れてもらい、核兵器廃絶に向けて着実な一歩を踏み出す意思を首脳会議として世界に発信してもらうことだったと思いますし、多くの広島市民がそれを願ったと思います。
 ところが、会議の初日には、首脳たちがヒロシマの被爆の実相に触れるより前に起草され、合意されていた「広島ビジョン」なるものが世界に発信されてしまいました。そこには、一番に、核兵器保有国やそれに頼る自分たちに都合の良い核抑止論の立場が、明確に述べられ、最後のあたりに、核兵器廃絶を究極の目標とするという、ヒロシマの願いとは違うことが述べられていました。
 いったい、わざわざ被爆地に何しに来たのか、と思います。首脳たちが、被爆の実相に少しだけ触れて、被爆地に集まって平和に向けて取り組む意思を合意したという、単なるパフォーマンスを世界に発信しただけではなかったのでしょうか。
 それが単なるパフォーマンスだったことは、現に、G7のリーダーであるアメリカが、今年、臨界前核実験を実施した上に、今後も核実験を続ける意思を示しているところに表れています。広島に来て平和を言っていたのに、4月10日の日米首脳共同声明では、バイデン大統領が改めて、核兵器で日本を守ると表明し、岸田首相はアメリカと連携し軍事面での日本の役割を果たすと約束したとしています。
 ヒロシマの願いである、核兵器廃絶に向けては、被爆地に集った後も、一歩たりとも進める意思を持っていませんし、世界中の願いで実現された核兵器禁止条約にも背を向けたままで、何ら変わる様子はありません。
G7広島サミットが、「広島ビジョン」によって、最初から、ヒロシマの願いと違う会議であったことが、明らかになっていたのではないでしょうか。
 G7サミットを記念する施設を、批判の声を押しのけて、わざわざ平和記念公園内に設置する意味がどこにあるのか、と言わねばなりません。
G7サミットが開かれて、広島市の経済や賑わいに貢献したということなら、平和記念公園以外の場所に、設置したらいいのではないかと思います。
現実のG7広島サミットの実態を考えれば、G7広島サミット記念館は、平和記念公園から撤去するべきであると考えますので、請願第20号の採択に賛成いたします。

 次に、請願第23号、被爆80周年に向かって53年間ヒロシマ・ナガサキ11万軒世帯の合体標語を実現するための意見書の提出を求めることについてですが、この請願の趣旨のなかで、8月6日と9日を人類史上初めて人間に原爆が使われた日として、休日にする、日本全体で犠牲者を追悼し、核兵器廃絶に向けて考える日とすることは賛成です。
 長い期間に渡って、粘り強く取り組んでこられた請願者の方々のご労苦に対しては労いと敬意の意を表するものです。
ただし、合体標語にある「人類総ざんげの日として」という考え方には異議があります。
 広島に原爆が投下された大本には、政府の行為として日本政府が戦争を始めた問題があります。日本共産党員をはじめ、日本の戦争政策に反対し、あるいは批判した日本国民がたくさんおられましたが、次々と捕らえられ、拷問を受け、そのために命を落とした方々がおられたことを忘れてはなりません。日本の国民の中に、日本の侵略戦争に反対し、いのちを賭してたたかった人々がいた、そのことは、侵略を受けてたくさんの犠牲者を出した国々の人々が戦後、日本国民と再び友好を結ぶ大きな力になりました。
 それと、日本を降伏させる決定的な手段として、アメリカ・イギリス・当時のソ連の三国首脳が、ヤルタ会談で、ソ連が千島列島を併合することを認める条件を付けて、ソ連が8月7日に参戦することを決めていたにも拘らず、第二次世界大戦後、米国が、ソ連に対して優位に立とうという世界戦略への思惑から、ソ連の参戦より早く広島に原爆を投下し、ソ連参戦後も長崎に原爆を投下した、歴史の事実があります。
 広島と長崎への原爆投下は、ひとえに日本政府の戦争政策の結果であり、アメリカの国家的利益のためだったというのが、いまでは共通した認識です。
 「人類総ざんげの日として」ということになりますと、戦争を始めた日本政府の責任とアメリカ国家の利益のために原爆投下に踏み切った米国政府の責任をあいまいにし、あの戦争に反対してがんばった方々の命がけのたたかいをなかったものにしてしまうと思いますので、この考え方には異議があります。
 以上の意見を申し上げた上で、8月6日と9日を「休日にする」という一点には同意できますので、請願第23号には賛成とします。

 以上で、請願の採決にあたっての討論と致します。