議会での質問・答弁

2020年06月24日

2020年第4回 6月定例会 経済観光環境委員会 藤井とし子議員

経済観光環境委員会での2.平和大通りの一部公園化についての質疑

(藤井とし子議員)
 それでは、平和大通りの一部公園化についてです。馬庭議員の質問と重なる部分もあるんですけれども質問いたします。まずこの事業は、進捗状況がどうなっているのかお答えください。

(観光企画担当課長)
 先ほどの馬庭議員の答弁と重複しますが、今年度予定しておりますPark-PFI制度を活用した平和大通りのにぎわいづくりに係る基本計画の作成に先立ちまして、地域の方々のご意見をしっかりとお聞きするということとしており、これまでに平和大通り沿道の町内会、商店街事業者、被爆者団体など68軒を訪問し、ご意見をお聞きしています。

(藤井とし子議員)
 今後の計画もちょっとお願いします。

(観光企画担当課長)
 今後さらに沿道事業者など地域の方々のご意見をしっかりお聞きするとともに、民間事業者からのヒアリングを通じたPark-PFI制度の実現可能性の検証を行い、都市公園とする範囲、そのゾーニング、それから公園施設の整備内容を具体化させ、その方向性も包括した基本計画をとりまとめる予定でございます。その後、基本計画を議会に報告し、市民意見パブリックコメントを募集し、Park-PFI制度を活用した事業推進について合意形成を図る予定でございます。

(藤井とし子議員)
 いま計画を作る前の聞き取りを行っているということだと思うんですけども、私も改めて平和大通りを歩いてみたり、色々お話も聞いてきました。歴史を振り返ると昭和24年に平和記念都市建設法により、平和記念道路として位置づけられ、河岸緑地などと一体化させて整備されることになりました。供木運動というのが出てくるんですけども、1957年に供木運動が展開され、150種2200本の樹木が全国の自治体や世界中の国々などの協力で植えられています。1986年には、日本の道百選にも選ばれたということもあります。
 供木運動について、緑地帯の中に説明板がありまして、ちょっと紹介します。終戦直後、市が財政難で思うように木が植えられませんでした。県内の市町村に樹木をお願いしたところ、多くの団体や個人が樹木や苗木を寄せられ、公園や道路に植えられました。平和大通りをはじめ、被爆後の広島が緑豊かな美しい街に生まれ変わることができたのは、平和を願う国内外からの支援と、町の緑化に取り組んできた人々の努力の結果であり、広島はこれらの記憶と多くの人々への感謝の気持ちを未来へと伝えていきますと銘記されています。ただの緑地ではない、未来に伝えていく歴史的使命を持った場所であるということを改めて私も認識をしたわけです。
 先ほども馬庭さんからも意見がありまして、この間68軒の中で被爆者団体からも要請が出されたと聞いていますが、先ほども要請の内容の答弁がありましたけれども、課長が言われるように、要請の内容は、慎重に進めてほしいということです。私も直接お話を伺いましたが、これはやめてほしいという思いで私どものところに来られました。都市公園というか、公園にすること自体は反対するというわけではないんですが、やはりPark-PFIで儲けの場所にするということに対して、反対の思いが強いと思っています。
 改めてこういう歴史を振り返りながら思うんですが、平和大通りの歴史的な価値からしても被爆者団体の意見は大変重いと思いますが、その点はどうでしょうか。

(観光企画担当課長)
 平和大通りの歴史は、第二次世界大戦中に建物疎開によって防火帯を設けたことに始まり、戦後多くの周辺住民等の協力を得ながら広島記念都市建設計画において土地区画整理事業を施行すると共に、都市計画街路の整備を進め、昭和40年に全線が開通いたしました。平和大通りの緑地内には供木運動などで県内外から集められた多くの樹木が植えられ、平和を祈念する彫刻記念碑などが点在しており、市内を東西に貫く幹線道路として、また戦後復興のシンボル空間として本市の発展を支えてきました。本市としましては、こうした平和大通りの歴史的な背景を十分踏まえまして、被爆者団体のご意見をしっかりとお聞きしているところでございます。

(藤井とし子議員)
 あの場所で多くの作業に当たって方、生徒学生民間人の方が原爆で亡くなられた場所であるということ、これは他にはない場所だと、公園の中では平和公園にも匹敵する場所ではないかと思います。
 この場所はやはり民間業者の儲けの場に提供することは、本来の平和大通りのあり方からも私はふさわしくないと思います。民間事業者が管理を担えばどうしても儲けを優先することになります。元安橋の東側の河岸にある民間カフェも、最初はお酒を出していなかったのが、後からお酒も出すようになったと聞いてます。また事業部分も徐々に拡大をしていて、近くの慰霊碑が隠れてしまい、被爆者団体や市民からも苦情が絶えないという状況も生まれました。
 こういう状況をどう受け止めておられるのか伺います。

(観光企画担当課長)
 元安川のオープンカフェの出店にあたりましては、Park-PFI制度のものとは若干異なりまして「水の都ひろしま推進協議会」が河川法を所管する国や、都市公園法及び広島市公園条例等を所管する市への手続きを行い設置したものです。店舗区域の拡大につきましては、「水の都ひろしま推進協議会」において審議し、承認された上で広島市に申請し許可をされたものでございます。「水の都ひろしま推進協議会」は、オープンカフェの利用者数が出店条件を設定した当時の2倍以上になるという状況や、店舗区域等の拡大をしても公園管理上の支障はないということから利用区域の拡大を認めているものでございまして、出店者にはこうした出店状況を遵守し、店舗運営を行うよう引き続き指導して参りたいと考えております。

(藤井とし子議員)
 平和大通りは、Park-PFI制度を利用しなくても今の緑地帯を守って、公園として、必要なトイレやベンチ、街灯なども、私は市が管理を引き続きしていくことはできるのではないかと思うんですけれども、それについてはどうでしょうか。

(観光企画担当課長)
 Park-PFI制度は、都市公園において民間事業者が緑豊かな空間を活用して創意工夫し、自らが設置する飲食店などの収益施設と一般の公園利用者が利用できる広場とを一体的にデザイン、整備することにより、民間事業者の収益向上と合わせて、公園管理者の財政負担を軽減しつつ、公園の魅力向上や利用者向けのサービスの充実を図る整備管理手法でございます。 本市としては、市民はもとより広島を訪れる世界中の人々が、平和大通りに点在する慰霊碑や供木運動で提供された樹木を巡り、静かに平和の尊さに思いを馳せ、いこいや交流などができる空間を持続的に良好に保つ上で、Park-PFI事業による民間活力を活用したいと考えております。

(藤井とし子議員)
 やはり民間の収益を上げることと、公園を市の維持管理費を節減するためと、そういうことが主な狙いだと改めて思うわけです。平和大通りは、先ほども言いましたけれども、普通の緑地ではない。札幌の大通りとかとは全然違う歴史的な意味があると思います。平和大通りの慰霊碑や、供木運動で提供された樹木を巡り静かに平和の尊さに思いを馳せることと、にぎわいを作ることとはどうしても矛盾するのではないかと思うんです。
 Park-PFIを生み出したイギリスでは、事業者が過剰に利益を得ているのではないかという批判の声も高まって、イギリスでは実施件数も年々減少しているのが現状のようです。
 このまま市が公園として管理することも選択肢として、慎重に検討されることを要望しておきます。
 それと最後に一つ、急に入った情報で発言通告が間に合わなかったので、お答えできなければいいんですけども、原爆ドームバッファゾーンの裏にあるおりづるタワーですが、この1階のカフェが、この6月から新たな企画として、ビアガーデンを始めるそうです。そこでモデルさんとダンスをできるようにするとか、モデルさんのウォーキングを楽しむとか、そういう中身で今宣伝もされています。
 市はこういうことが始まってるということは承知していらっしゃるのかどうか、それについて意見を言ってきたのか言わなかったのか、この点だけちょっとお聞きいたします。

(観光企画担当課長)
 その件につきましては承知いたしておりません。

(藤井とし子議員)
 まだご存じないということでしたら調べていただいて、バッファゾーンでああいうことをしてもよいのかどうかっていうのは非常に疑問に感じるという市民の声も聞いておりますので、バッファゾーンとして市がどう対応するのかよく考えていただきたいと思います。

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